「小林昭七さんを偲んで 」黒田成俊

KurodaTalk

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ShigetoshiKuroda

「小林昭七さんを偲んで」
黒田成俊
東京大学及び学習院大学名誉教授

 

ご紹介頂きました黒田成俊でございます。小林さんを偲んで,一言ご挨拶させて頂きます。

皆様,小林さんとは研究上の縁は薄そうな私が何故,と思われるでしょう。実は,1962年の秋に小林さんがVancouverからBerkeleyに赴任されましたとき,たまたま私がBerkeleyに客員でおりまして,そのとき始めて小林さんとお目にかかりました。それ以来,深いお付き合いとは言えませんが長年にわたって,小林さんをひそかに敬愛してきたものでございます。

私は小林さんと同じ1932年(昭和7年)の生まれですが,小林さんは早生まれ,私は6月のおそ生まれです。当時の学制の切り替えの事情で,年齢1年の差が学年2年の差になったケースです。それに,私が物理学科の学生であったこともあり,実はBerkeleyでお会いするまで,小林さんのお名前も知りませんでした。それがお会いしてからは,数学のコンタクトは少なかったのですが,どなたにも明白な小林さんの飾らないお人柄に魅せられて,ずっと敬愛してまいりました。片思いだったかもしれませんが。

小林さんがいらした年には,私の恩師である加藤敏夫先生も,東京大学の物理の教授からUC Berkeleyの数学の教授としてご着任になり、急に賑やかになりました。それから私が帰国するまでの1年の間,私的な面でも加藤先生,小林さんにご家族もご一緒で(といってもこちらは一人ものですが)色々とお世話になりました。お嬢様方も,その頃はスンちゃん,メイちゃんとお呼びしていたのを思い出します。

その後,1970年のNice Congress, それは広中さんがFields賞を受賞されたCongressですが,そのときは加藤先生がPlenary Speaker, 小林さん(と私)はSession speakerでした。加藤先生,小林さんはご家族でいらしており,Sessionの外でも,遠足に行ったりしたのがよき思い出となって残っております。最近そのときの写真をファイルにしてみたのですが,遠足の写真には何故か小林さんだけが写っておられません。遠足に来られなかったか,来られても数学仲間とdiscussionをしておられたのでしょうか。コングレスのProceedingsの論文題名が,フランス語なのですがPseudo-distances intrinseques sur espaces complexes です。Major workの一つなのでしょう。遠足どころではなかったのかもしれません。

エピソードのようなことを二つほど。

ほかの方のスピーチでも触れられておりネットにも出ておりますが,小林さんが1978-1981に数学教室のChairmanをされていたとき,所謂”Space War”と言い習わされている教室の面積問題に直面され,その大問題を小林さんが振りかぶることもなく巧みに解決されたのは有名なことのようです。丁度その頃なんだったと思いますが,加藤先生とお話する機会(多分日本で)があったとき,先生がふと「小林さんは今Chairmanだけれど,Chairmanの仕事は午前中にこともなげに片付けてしまって,午後は研究三昧のようだと仰っていました。これは,先生流の小林さんへの賛辞なのですけれど,同時にその頃何かと「学科のことが忙しい・・・」等とこぼしていて研究が進んでいなかった私に対する「小林さんを少しは見習え」というお諭しであったのかもしれません。私はと云えば,その後20年あまり,小林さんを少しも見習えずに停年になってしまったことが悔やまれます。

話は変わりますが,これもネットで見たことですが,小林さんは中華を好まれたとか,意外にグルメでいらしたんでしょうか。それで思い出すのですが,これは多分Berkeleyでお会いした時,何の弾みにか食べものの話になり,仰るには「オートミールが大好きなんで,いつもBreakfastに作ってもらっているんだ」といつものとおりの笑顔で,でもそれはそれは嬉しそうに話しておられたことがあります。私もオートミールは好きですが一人暮らしでしたので,羨ましかったのを思い出します。オートミールも今ならば簡単なのが電子レンジで作れますが,あのころのオートミールは本格的で,毎朝のオートミール作りは奥様の一仕事だったのではないでしょうか。でも,それが小林さんの午前中のエネルギーになって,space warに勝利したのに違いありません。

小林さんとは,その後も日本にいらしたときに時たまお話して,一度は高村幸男さんと一緒で拙宅で恥ずかしながら手料理を差し上げたたこともありましたが,その後私的なお付き合いはだんだん少なくなってしまいました。90年代後半だったと思いますが,一度学習院大学へお出で頂いて,数学科の学生のための啓蒙的なお話をして頂いたことがあり,またご著書「円の数学」を学習院大学の1年生のセミナーに使ったりと,いろいろ恩恵をうけておりました。しかし,最近は数学会で「小林さんお元気だなあ」とお姿をはるかに拝見するだけになってしまっていたことが悔やまれます。

昨年の夏の終わりに,新聞で突然小林さんの訃報を見て愕然と致しました。そして目に浮かんだのは,学会の会場をリュックを肩にかけて飄々と歩いておられるいつものお姿でした。

これもネットからですが,小林さんのFuneralのときの,Berkeleyの今のChairman, Prof. A. E. Ogusのお話が出ています (http://hp.hisashikobayashi.com/remembrances-of-Shoshichi-Kobayashi ) 。その中で,彼が小林さんにChairmanの心得についてアドバイスを求めたところ“He warned me not to try to do big things to make a name for myself.” とありました。このようにおっしゃりながら,沢山の沢山のbig thingsを達成されたご生涯であったのだろうと,つくづく思うことです。