「バークレー校代表」 ポール・ヴォイタ

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PaulVajtaポール・ヴォイタ教授
カリフォルニア大学バークレー校数学科

 

まず最初に学科主任のアーサー・オーガス教授からの伝言をお伝えします。

「研究者、教育者そして指導者としての小林昭七は私共の学科の歴史上、最も尊敬され、影響力を持つ、有能なメンバーでありました。同僚と学生達は彼に対して賞賛のみならず、敬愛の念をも抱いていました。これは、大学院留学生を援助する目的で設立された小林記念基金に世界中の数学者から次々と寄せられる素晴らしい寄付にも反映されています。すでに150名を超える個人の方々から、一件100ドル未満から1万ドル迄の寄付が寄せられています。私どもの学科の生活に大きな変革をもたらすだけの金額が集まりつつあります。寛大な寄付をして下さった皆様に私共は心を打たれ、感謝いたしております。基金は、昭七氏の数学での永久の遺産に付加されるふさわしいものです。このような援助に対し私共の学科は深く感謝いたしております。」

私自身のコメント(小林教授の葬儀でのオーガス教授の弔辞の一部に基づくものですが)を付け加えたいと思います。私が最初バークレーに来たときは、数理科学研究所(MSRI)のメンバーとしてでありました。セルジュ・ラング教授は到着後間もない私を小林昭七教授に紹介してくれました。勿論彼の業績はずっと前から知っていました。一年後に私は数学科のミラー・ポストドク・フェローになり、小林昭七教授が私のファカルテイ・メンター(若手の教授を助言する指導者)になりました。しかし私の研究は殆ど数論でしたから、彼とは余り接触はありませんでした。

バークレーでは残念なことに、テイー(お茶の集まり)に出席しない教授が多いのですが(私も時々サボる有罪者なのですが)、小林教授は殆どいつも出席されていたので、私も数学科になじめるようになりました。バークレーに長年いると、時折「スペース戦争」という言葉を耳にします。これはハリウッドの映画のことではなく、大学の経営陣が数学科のオフィス・スペースのかなりの部分を取り上げようとした時代の話なのです。その当時(私がバークレーに来る以前ですが)、小林教授が学科主任でした。彼は大変巧妙な手口で、困難な時期を乗り越えられるよう数学科を導いたことを私も知っています。オーガス教授の言によれば「我々の学科が大学の経営陣からメモを受け取るたびに、昭七はそのメモと丁重だが完全に痛烈な反駁メモを掲示板に貼って公開した。学科のメンバーにとってはものすごく愉快な読み物であったが、経営陣にとってはそう面白いことではなかった。」その困難な時代に数学科はある程度のスペースを失ったが、昭七は我々の損失を10%までに留めました。

小林教授は星のように傑出した同僚であり数学者でした。彼が亡くなり大変寂しく思います。