「出版編集者からの思い出」 細木周治

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ShujiHosoki
細木周治
裳華房編集部 (2013年2月退職)

 

私が、裳華房(ショウカボウ;出版社)の編集者として、小林昭七先生のお手伝いをさせていただきましたのは36年程前(1977年;入社5年目)からになります。担当した第1冊目は、幾何を専門とされている方であれば必ずご存知な『曲線と曲面の微分幾何』です(小林先生をご推薦されたのは矢野健太郎先生です)。この本は、数学の専門課程向き書籍としては大いに売れ、現在も高い評価を得ています(1995年には改訂版が刊行されました)。私は数学を専門としていなかったこともあり、当時、なぜ売れるのかが理解できなかったことを憶えています(この件については、読みやすい文章を書く方として、後で触れることになります)。当時はメールがない時代(航空書簡のみ)ですから、「校正」のやり取りだけでは、小林先生の人柄や業績を理解するチャンスはありませんでした(東京近郊の先生であれば、直接お会いすることで、お付き合いの世界が次々に広がってゆきます)。それでも、改訂版を含めて計6冊もの編集のお手伝いをさせていただきましたので、小林先生とのドラマはそれなりにあります。今日は3つのトピックについてお話をさせていただきます。

1999年に『円の数学』が刊行されました。すでにお気づきの方もおられるかも知れませんが、序文の2重構造、すなわち序文の中に「はじめに」という文章が含まれています。『円の数学』の推敲から刊行までの期間は、当時の文化庁長官により「人生で2次方程式が役に立ったことがない」旨の発言と共に数学教育内容の削減がなされた時期に一致しています。常にニコニコされていて怒る姿を見せない小林先生が、珍しく強い口調でこのことに触れたのです(裳華房のホームページには当書籍の序文PDFが掲載されています)。http://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-1516-0.htm 推敲時には予定していなかったその当時の思いを公にしたかったのか、「はじめに」は序章(本文)として扱われるべきものだったのに編集部が間違ってしまったのか、今となっては確かめることはできません。もしかしたら、その辺りの実情は慶応義塾大学の前田吉昭先生がご存知であるかもしれません(偲ぶ会の席で、前田先生から「小林先生は、怒るときははっきりと怒られる方である」旨の補足がありました)。

2000年には『微分積分読本』を刊行していただくことになりました。多くの場合、教科書としての性格を有するように構成していただくことをお願いしますが、在米の(日本の教育環境とは異なる大学の)先生ですから、自由に書いていただくことといたしました。題材が微積分であったこともあり、このころには、小林先生の文体の読みやすさの理由を、私なりに理解することができるようになってきました。数学の本では、定理などの記述ルールと初学者の思考順序とが異なっている場合を多く目にします。しかし、小林先生の場合は、数学を専門としてない(数学的思考の訓練を十分に受けていない)読み手に違和感を与えない形で説明されているのです。「大まかな考え方」の次に「数学的なルールに沿ったまとめ」がきちんと分けられていることによるものと思います。

『微分積分読本』においても、読者(の一人)の立場から、「このように読んで(理解して)良いのかどうか」の質問を多くさせていただきました。このとき、先生から「何が判らないのかが判った」という言葉とともに、適切な修正を多く施していただいたことが、書籍の評価につながったものと思っています。小林先生から頂いた「何が判らないのかが判った」のお言葉は、教育にかかわる書籍の編集者にとっての勲章と思っています。「何が判らないのかが判った」に対し、真逆の言葉は「何が判らないのかが判らない」となります。「小林先生を偲ぶ会」のご出席者の多く方は教える側に属されています。数学者は、答えに至る道筋は幾通りもあると説明しますが、読み手(学生)にとっても、間違える方向は幾通りもあります。ぜひとも、そのことを頭の片隅に置いて、小林先生のように、受講者の方々に接していただければと思っています。

小林先生のすごさは、仕事のスピードにもあります。そのことは、『微分積分読本』の続編として、当初予定されていなかった『続 微分積分読本』が翌年の2001年に刊行されたことでも判ります。事実、小林先生は慶応義塾大学病院で血管形成手術(バイパス手術ではなっかたと思います)を受けられていますが、私は、校正や編集上の打ち合わせのために病院にまで押しかけたことがあります(決して無理強いしたわけではありません)。そのとき、小林先生は「私は、原稿を書いたりすることが大好きで、時間が余ってしまう入院時にこのような仕事をできることが楽しいのです」と述べられています。しかし、医者や看護師が行き交う中(病室ではありません)での打ち合わせです。第三者の人からは、私が病院まで押しかけて病人いじめをしている非人情者と見えたかもしれません。

小林先生のエピソードと人柄を、一編集者から述べさせていただきました。小林先生のご冥福をお祈りいたします。